はじめに

海の記憶を宿す、山の塩
山あいの静かな土地に、「海の記憶」をすくい上げる塩があります。
福島県会津地方――日本海からは遠く離れ、深い山々に囲まれたこの地で、古来より人々は塩を作り続けてきました。その名は会津山塩。
一般的な塩が海から生まれるものであるなら、会津山塩は「地層から生まれる塩」です。はるか太古、ここが海だった時代に閉じ込められた塩分を含む地下水。それをくみ上げ、気の遠くなるような時間と手間をかけて煮詰めることで、ようやく結晶となります。
大量生産とは無縁。自然と人の技が調和したときにだけ生まれる、極めて希少な存在です。
会津山塩は単なる調味料ではありません。土地の記憶を味わうための、文化そのものなのです。
食材概要
- 名称:会津山塩(あいづやまじお)
- 産地:福島県会津地方
- 原料:地下からくみ上げる塩分を含む天然水(化石海水)
- 製法:薪火・釜炊きによる伝統製塩
- 特徴:まろやかな塩味、角のない口当たり、ミネラル感
- 生産量:ごく少量(限定生産)
- 位置づけ:地域文化を体現する希少塩・伝統食材
歴史・由来
始まりの伝説 ―― 平安時代

会津山塩の歴史は、平安時代にまで遡るといわれています。
その起源として語り継がれているのが、弘法大師(空海)にまつわる開湯伝説です。
伝承によると、弘法大師が会津の地を訪れた際、村人たちが深刻な水不足に苦しんでいる様子を目にしました。そこで大師が持っていた杖で地面を突くと、そこから塩分を含んだ温泉が湧き出したとされています。
これが現在の大塩裏磐梯温泉の始まりだと伝えられています。
この温泉は、「グリーンタフ」と呼ばれる地層に閉じ込められた、太古の海水が地下に閉じ込められ、長い年月を経て地下水に溶け出したものと考えられています。
地名である「大塩」も、塩分を含む水が湧き出す場所であったことに由来しており、会津山塩の歴史がこの土地と深く結びついていることを物語っています。
会津藩の重要産業 ―― 江戸時代

江戸時代に入ると、会津山塩は内陸における貴重な塩の供給源として、会津藩の厳しい管理下に置かれるようになります。
塩は生活に欠かせない必需品であり、保存食文化を支える重要な資源でもありました。そのため、会津藩は山塩の生産を藩の統制産業とし、計画的に製塩を行っていたとされています。
生産された山塩は藩へ献上され、鶴ヶ城天守閣内に設けられていた「塩蔵」に保管されていました。
記録によると、1805年(文化2年)頃には年間約404トンもの山塩が生産されていたとされ、これは当時の会津において、山塩がいかに重要な産業であったかを示しています。
明治時代の栄光と衰退
明治時代に入っても、会津山塩の品質の高さは高く評価され続けました。
その希少性と完成度から、皇室への献上品として選ばれた実績も残されています。
しかし、時代の流れは伝統製塩にとって厳しいものでした。
1905年(明治38年)に施行された「※塩専売法」により、塩の生産と流通は国の管理下に置かれることになります
※塩専売法:1905年(明治38年)~1997年(平成9年)まで日本に存在した、塩の生産・流通・販売を国が独占的に管理する法律。
大量生産に向かない山塩の製法は、次第に採算が取れなくなり、製塩は縮小。
やがて会津山塩の伝統は途絶え、長い間「幻の塩」として語られる存在となっていきました。
現代の復活 ―― 平成から現在へ
会津山塩が再び世に姿を現したのは、2000年代に入ってからのことです。
約60年もの間、製造が途絶えていたこの塩を復活させようと、地域活性化を目的とした取り組みが始まりました。
2005年(平成17年)、村おこし事業の一環として試験製造がスタート。
その後、2007年(平成19年)に「会津山塩企業組合」が設立され、本格的な製造が再開されました。
現在も、薪を使った釜炊きという伝統的な製法が守られています。
時間と手間を惜しまない製塩方法によって生まれる会津山塩は、そのまろやかな味わいと希少性から、「会津山塩ラーメン」をはじめとする地域の特産品としても親しまれています。
今もなお、会津山塩企業組合を中心に、伝統の継承と品質の維持が大切に続けられています。
会津山塩の生産工程 ―― 手間と時間が生む、山の塩

会津山塩は、大塩裏磐梯温泉の源泉を原料とし、熟練の職人がすべての工程を手作業で行う、伝統的な製法によって作られています。
温泉水約100リットルから得られる塩は、わずか1kg程度(約1%)。完成までにはおよそ1週間を要し、その非効率さこそが会津山塩の希少性を物語っています。
以下が、現在も受け継がれている主な生産工程です。
1. 源泉の採取
原料となる温泉水は、福島県北塩原村にある大塩裏磐梯温泉の源泉から汲み上げられます。
海水と比べると塩分濃度は約3分の1と低く、製塩には大量の水と長い時間が必要となります。この点が、会津山塩づくりを極めて手間のかかるものにしています。
2. 薪釜による煮詰め(煎熬/せんごう)
汲み上げた温泉水は、地元産の木材を燃料とする薪釜に入れ、じっくりと煮詰められます。
職人は釜の様子を見ながら薪をくべ続け、約1週間かけて水分を蒸発させていきます。
薪火による穏やかな加熱は、温泉由来の成分を壊すことなく凝縮させ、角のない、まろやかな塩の結晶を生み出します。
3. 結晶の採取と脱水
水分が減り、釜の中に塩の結晶が現れると、職人はお玉を使って一つひとつ丁寧にすくい取ります。
その後、塩はざるにのせられ、自然の力を利用してゆっくりと水分が抜かれていきます。
4. 乾燥
ざるに上げた塩は、天日干し、または乾燥工程を経て、余分な水分を完全に取り除きます。
この工程によって、保存性が高まり、塩としての品質が安定します。
5. 品質検査・不純物の除去(仕上げ)
乾燥後の塩は、職人が目視で一粒一粒を確認し、不純物があれば手作業で取り除かれます。
この徹底したチェック工程が、会津山塩の高い品質と、美しい結晶を支えています。
6. 瓶詰め・袋詰め
厳しい検査をクリアした塩のみが、瓶や袋に詰められ、製品として出荷されます。
大量生産を前提としないため、出荷量は常に限られています。
伝統製法が生む希少性

※写真はイメージです
会津山塩は、機械による大量生産を行わず、「薪火」と「職人の目」によって作られ続けています。
効率よりも品質を重視するこの姿勢こそが、会津山塩を単なる調味料ではなく、土地の文化を体現する希少食材へと高めているのです。
生産者の思いと哲学
会津山塩に受け継がれる「三つの哲学」
会津山塩の生産に携わる方々は、一度途絶えた伝統を復活させ、地域の誇りとして次世代へ繋ぐという強い使命感を抱いています。その根底には、主に三つの哲学があります。
「幻の塩」を復活させた郷土愛と使命感
明治時代の塩専売法により途絶えた歴史を、2000年代に地元の有志が「地域の宝をもう一度」という情熱で蘇らせました。単なる調味料の生産に留まらず、会津藩献上品としての歴史的価値を再評価し、地域のアイデンティティと経済を支える「村おこしの原動力」となることを目指しています。
非効率を厭わない「手作業」へのこだわり
温泉水からわずか1%程度しか採れない非効率な製法をあえて守り続けています。薪火で一週間かけてじっくり煮詰め、不純物を一粒ずつ手作業で取り除く工程には、一切の妥協を許さない職人の誠実さが宿っています。「自然の恵みを五感で形にする」という、自然への深い敬意がその手仕事に現れています。
「本物」を正しく伝える誠実な姿勢
ブランド価値を維持するため、安易な増産に走らず、伝統製法による「本物の味」を守り抜くことを最優先しています。生産者・地域・消費者が共に幸せになれる持続可能な仕組みを構築し、現在では多くの料理人からも厚い信頼を寄せられる「信頼の証」となっています。
まとめ

明治の終焉とともに一度は途絶えながらも、地元の情熱によって再び命を吹き込まれた会津山塩。
それは、地域の宝を次世代へ繋ごうとする北塩原村の意志の象徴でもあります。
この塩を選び、味わうことは、この地の伝統文化を支えることにも繋がります。
福島が世界に誇る唯一無二の伝統食材として、会津山塩の新たな物語は、これからも薪火の温もりとともに、未来へと紡がれていくことでしょう。
※本食材は、収穫時期や生育状況に応じて出荷されるため、販売時期・数量には限りがあります。最新の販売状況や次回出荷については、公式サイトをご確認ください。
購入案内(公式/非アフィリエイト)
● 製品名:会津山塩
● 価格:掲載なし(リンク先でご確認ください)
● 購入元(公式):[会津山塩企業組合 ]
参考文献一覧
| 種別 | 出典名 | 内容 | URL |
|---|---|---|---|
| 行政資料 | 福島県公式観光情報 | 会津の食文化 | https://www.tif.ne.jp |
| 生産者HP | 会津山塩製造元 | 製法・理念 | https://www.aizu-yamajio.jp |
| 産直サイト | 道の駅会津 | 商品情報 | https://www.michinoeki-aizu.jp |
| 学術・文化 | 会津若松市史 | 歴史的背景 | https://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp |
| 市場情報 | JA会津よつば | 地域特産品 | https://www.ja-aizu.or.jp |



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