はじめに

富士山麓が生んだ、幻の在来白菜
富士山の裾野、清冽な伏流水と澄んだ空気に抱かれた静岡県富士宮市。
この地には、かつて「白菜の理想形」を目指して名付けられた一品種が、今なお静かに受け継がれています。
その名は「新理想(しんりそう)」。
大玉で見栄えの良い現代白菜とは対照的に、結球は緩く、葉はやわらかく、霜を受けてこそ真価を発揮する白菜。
効率や大量流通からはこぼれ落ちてしまったこの品種は、時代の変化の中でほとんど姿を消しました。
それでも富士宮の一部の生産者は、この白菜を「手放してはいけない味」として守り続けてきました。
新理想は、単なる古い品種ではありません。
日本の白菜栽培が「味」を軸にしていた時代の記憶そのものなのです。
食材概要
- 名称:新理想(しんりそう)
- 分類:「新理想」は、昭和初期に育成された「理想白菜」という系統から選抜・固定された品種
- 主産地:静岡県富士宮市の中でも、特に富士山麓の標高が高い地域(旧芝川町や猪之頭地区など)が中心
- 収穫期:11月~2月(露地・寒締め)
- 特徴:柔らかな葉、甘味と旨味の深さ、
- 栽培規模:極小(自家採種・直売中心)
- 市場流通:冬の時期には富士宮市のふるさと納税の返礼品や、地元の直売所などで限定的に販売されることがある
歴史・由来

「新理想」白菜は、日本の白菜栽培の歴史において画期的な成果とされる「理想白菜」の系統を受け継ぐ、由緒ある固定種です。その歩みは、日本独自の結球白菜を確立しようとした明治期以降の育種競争と、戦前から脈々と続く農家の努力に深く根ざしています。
日本における白菜栽培の始まり
日本に白菜が伝来したのは、明治時代初期のことです。しかし、当初は中国から輸入した種子をそのまま播いても、日本の気候風土に適応できず、安定して結球しませんでした。
さらに、在来のカブや菜類など他のアブラナ科植物との自然交雑も起こりやすく、「葉は育つが巻かない白菜」が多く生じていたと記録されています。
この「結球しない」という問題は、白菜を主要野菜として定着させるうえで、大きな障壁となっていました。
「理想白菜」の誕生
この課題を克服し、日本国内で安定して結球する白菜の育成に成功したのが、愛知県の野崎採種場創業者、野崎徳四郎氏です。
野崎氏は明治18年(1885年)、中国原産の「山東白菜」を基礎に、長年にわたる選抜と交配を重ね、日本で初めて「完全に結球する白菜」の育成に成功しました。
この成果によって誕生した品種群は、後に「野崎白菜」と総称され、日本の白菜栽培の基盤となっていきます。
その中でも、
- 結球の安定性
- 肉質の柔らかさ
- 食味の良さ
といった点で特に優れていた系統が、「理想白菜」と呼ばれるようになりました。
「理想白菜」がもたらした食文化の変化

「理想白菜」の登場は、日本の食卓に大きな変化をもたらしました。
それまで不安定だった白菜栽培が安定し、昭和初期には、白菜は全国に普及する秋冬野菜として定着します。鍋料理や漬物など、日本の冬の食文化は、この品種群の確立によって支えられてきたと言っても過言ではありません。
「新理想」への継承と固定化
「新理想」は、この歴史的な「理想白菜」の系統から、さらに
- 結球性
- 耐寒性
- 栽培安定性
といった形質に優れた個体を選抜し、固定化した品種です。
現代の白菜の多くがF1種(一代交配種)であるのに対し、「新理想」は固定種であるため、農家自身が自家採種を行い、世代を重ねながら守り継いできました。この点こそが、「新理想」が持つ最大の歴史的価値の一つです。
富士宮で受け継がれた「新理想」
静岡県富士宮市周辺は、富士山麓特有の冷涼な気候と、水はけの良い火山灰土壌に恵まれています。この環境は、「新理想」白菜の栽培に非常に適しており、地域の農家によって伝統的な栽培が続けられてきました。
特に、冬の寒さにさらすことで糖分と旨味を蓄える「寒締め栽培」との相性が良く、富士宮の新理想白菜は、柔らかさと深い甘味を兼ね備えた白菜として高く評価されるようになります。
こうして「新理想」は、この地域ならではの「幻の白菜」として、その名を残してきました。
「新理想」白菜の歴史は、中国から伝わった野菜を日本の風土に適応させようとした先人たちの試行錯誤と努力、そして富士宮の農家によって固定種の系統が守り継がれてきた歩みそのものです。
効率や大量生産が重視される現代においても、「新理想」が今なお語り継がれるのは、その味と歴史が、日本の白菜栽培の原点を体現しているからにほかなりません。
栽培方法/生産工程
「新理想」白菜は、播種から収穫までおよそ80〜85日を要する中生(なかて)種です。
静岡県富士宮市周辺では、富士山麓の気候条件を生かし、長年培われてきた以下の工程で栽培が行われています。
播種(種まき)・育苗

※写真はイメージです
時期:8月下旬〜9月上旬頃
方法:セルトレイやポットを用いて苗を育てる移植栽培が一般的です。播種期はまだ高温であるため、直射日光を避け、風通しの良い日陰で管理します。
ポイント:白菜は播種時期に非常に敏感な作物です。
播種が早すぎると高温による病害虫被害を受けやすく、逆に遅すぎると冬本番までに十分な結球が進みません。適期播種が、品質を左右する最初の重要な工程となります。
畑の準備・定植
土作り:植え付けの2週間以上前に石灰を施し、土壌のpHを調整します。あわせて、元肥として堆肥などの有機肥料を十分に混ぜ込み、根がしっかり張れる土壌を整えます。
定植:本葉が4〜5枚に育った頃(播種から約2週間後)を目安に、畑へ定植します。活着を安定させるため、天候や地温を見極めながら作業が行われます。
生育管理(追肥・土寄せ・防虫)
追肥:定植後、根が十分に活着した7〜10日後に一度目の追肥を行います。
さらに、葉が立ち上がり結球を始める直前の2〜3週間後にも追肥を施し、生育途中での肥料切れを防ぎます。
防虫対策:「新理想」は葉が柔らかく、ヨトウムシやアブラムシなどの害虫被害を受けやすい品種です。そのため、防虫ネットの設置や、生育初期の適切な防除が欠かせません。
収穫前の仕上げ(寒締め)
寒締め:富士山麓の厳しい寒さに当てることで、白菜は凍結を防ぐために自ら糖分を蓄えます。この過程が、「新理想」特有の深い甘味と旨味を生み出します。
防寒(ハチマキ):本格的な寒波が訪れる前に、外葉で結球部を包み、紐で軽く縛る「ハチマキ」と呼ばれる作業を行います。
これにより、霜や寒風による傷みを防ぎ、内部の品質を守ります。
収穫
時期:11月下旬〜2月頃
収穫の目安:
結球部の頭を押してみて、しっかりと硬く締まっている状態になれば収穫適期です。寒さの中でゆっくり育った株ほど、味に深みが出ます。
種をつなぐという仕事

※写真はイメージです
「新理想」は固定種であるため、富士宮の農家では毎年、形や生育の良い株を選び、翌春に花を咲かせて自家採種を行います。
こうして採られた種が、翌年の栽培へと受け継がれ、品種と地域の歴史が守られてきました。
生産者の思いと哲学
静岡県富士宮市で「新理想」白菜を守り続ける生産者たちの姿勢は、単なる効率や利益を超えた、強い使命感に貫かれています。
それは、「本来の白菜が持つ旨さを、次の世代へ確かに手渡す」という、静かで揺るぎない哲学です。
「美味しさ」への一切の妥協をしない姿勢
現代農業の主流は、病気に強く、形が揃い、輸送に耐えるF1種(交配種)です。しかし、生産者はあえて、栽培が難しく扱いも繊細な固定種である「新理想」を選び続けています。
そこにあるのは、
「自分が本当に美味しいと思うものを、いちばん美味しい状態で食べてほしい」
という、極めてシンプルで強い信念です。
寒締めによって引き出される深い甘味、繊維がとろけるような柔らかさ。
それこそが「白菜本来の味」であると確信し、その感動を食卓に届けることに、生産者は誇りを抱いています。
「種をつなぐ」という、土地への責任
「新理想」は固定種であり、富士宮では農家自身が良い株を選び、春に花を咲かせて種を採る自家採種が行われてきました。
生産者は、種を単なる資材ではなく、「土地の記憶」として捉えています。
富士山麓の厳しい寒さ、火山灰土壌、水の質。
そうした環境に適応しながら、数十年、あるいはそれ以上の時間をかけて磨かれてきた個性を、次の世代へ渡すことこそが自分たちの役割だと考えているのです。
効率化の波の中で、一度は消えかけた「新理想」を、地元の仲間と共に研究と試行錯誤を重ねて復活させた背景には、「この土地の宝を、絶やしてはならない」という、深い郷土愛があります。
自然と向き合い、「待つ」農業
富士山麓の冬の寒さを生かす「寒締め」は、人が管理するというより、自然の力に委ねる工程です。
生産者は、「人間が味を作るのではなく、富士山の自然が仕上げてくれる」という、謙虚な姿勢で畑に向き合います。
霜に当たり、外葉が傷み、見た目が崩れていく中でも、白菜は内側に旨味を凝縮していきます。その生命力を信じ、収穫を急がず、寒さが深まるのをじっと待つ――。
この忍耐強さこそが、「新理想」栽培の根幹にあります。
希少性を誇りに変えるという選択
「新理想」は市場流通がほとんどありません。しかしそれは、「ここでしか作れず、ここでしか味わえない」という、かけがえのない価値でもあります。
生産者は大量生産・大量消費の仕組みから距離を置き、「わかる人に、最高の状態で届ける」という直売中心のスタイルを貫いています。
食べれば違いが伝わる。
だからこそ過度な宣伝には頼らず、食べた人の「美味しい」という一言を励みに、手間と時間を惜しまない、手仕事としての農業を大切にしているのです。
生産者にとっての「新理想」とは
生産者にとって「新理想」白菜は、単なる農産物ではありません。
富士宮の風土、先人の知恵、そして今を生きる人々の情熱が重なり合って生まれた、一つの文化です。
その白菜が冬の食卓に並ぶとき、そこには味だけでなく、土地と人の物語もまた、静かに息づいています。
まとめ

「新理想」という名の通り、そこにはかつての日本人が追い求めた『理想の旨み』が今も息づいています。
効率化や流通の利便性が優先される現代において、あえて手間のかかる固定種を守り抜く生産者の姿は、食の真髄とは何かを私たちに問いかけているようです。
富士山麓の厳しい寒さと、それを受け入れる生産者の忍耐が育むこの一杯の甘み。それは、土地と人が分かちがたく結びついて生まれた、富士宮が誇るべき生きた文化財なのです。
※本食材は、収穫時期や生育状況に応じて出荷されるため、販売時期・数量には限りがあります。最新の販売状況や次回出荷については、公式サイトをご確認ください。
購入案内(公式/非アフィリエイト)
● 製品名:新理想
● 価格:掲載なし(リンク先でご確認ください)
● 購入元(公式):[JAふじ伊豆「う宮~な」]
参考文献一覧
| 種別 | 出典名 | 内容 | URL |
|---|---|---|---|
| 行政資料 | 静岡県農業技術研究所 | 白菜品種・栽培史 | https://www.pref.shizuoka.jp |
| 学術 | 日本園芸学会 | 白菜育種の変遷 | https://www.jshs.jp |
| 行政 | 富士宮市 | 農業・特産物 | https://www.city.fujinomiya.lg.jp |
| 産直 | JA富士宮 | 地域農産物紹介 | https://ja-fujinomiya.or.jp |
| 市場 | 農林水産省 | 野菜品種・流通 | https://www.maff.go.jp |



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